インターネットバブル

インターネットバブル( Internet Bubble )は1990年代後半、米国市場を中心に起ったインターネット関連企業の実需投資や株式投資の異常な高潮。情報・通信産業の急激な発展と、それに過大な期待を寄せた投資家の過剰投資によってもたらされたバブル現象である。

インターネットで商業用に用いられるドメインの".com"からドットコムバブルや、ITバブルと呼ばれることも。ドットコム会社と呼ばれる多くのIT関連ベンチャーが設立され、1999年から2000年初め頃をピークに株価が異常に上昇したが、2000年春頃、バブルははじけた。

背景
1990年代後半、消費者との直接の双方向的通信を大量に処理できるe-コマースの可能性が現実化し、既存のビジネス・モデルを揺るがせた。このため多くの会社がインターネット関連投資に走り、これらのサービスを提供するIT関連企業に注目が集まった。さらに1998年から1999年にかけて持続した米国の低金利がベンチャー創業資金や投資資金の調達を容易にした。

そして、現在の収益よりも将来見込まれる収益(及び収益を生み出されると考えられたビジネスモデル)に期待して投資が行われたことが、IT関連企業の株価が急騰した理由としてあげられる。
他にも、折からの2000年問題で関連企業株がもてはやされた等の意見がある。

株価
通信関連銘柄が多いNASDAQの平均株価は1996年には1000ドル前後で推移していたが、1999年には2000ドルを突破し、2000年3月10日には絶頂の5048ドルを示現した。

同様の傾向は、米国株式市場だけでなく、欧州・アジアや日本の株式市場でも見られた。このような中で株式を公開したベンチャー企業創業者は莫大な富を手にし、シリコンバレーを中心にベンチャー設立ブームに拍車をかけた。米国ではドットコム・ブームと呼ぶ。

当時、米国の経済学者はこのような現象を「ニューエコノミー」としてもてはやしたが、その後、連邦準備制度理事会の利上げを契機に株価は急速に崩壊し、2002年には1000ドル台まで下落した。

崩壊
このような株価の崩壊のなかで、多くの通信向けビジネスを主とするIT関連ベンチャーは倒産に追い込まれ、2002年の米国IT関連失業者数は56万人に達した。ただ、グーグル、アマゾン・ドットコムやeBayなど一部の堅実なベンチャーのみが生き残ることができた。

また、パソコンや通信設備の世界的な生産の減少と、これら製品に多く使われ、これら製品の生産増を当て込んでいた半導体の過剰設備、過剰在庫が不況に拍車をかけた。北米を中心に過剰な光ファイバーの敷設が行われ、ダークファイバ問題を起こした。

世界的影響
欧州諸国のなかでも英語圏で賃金コストが低かった小国アイルランドにIT関連企業の直接投資が相継ぎ、アイルランドはこのブームに乗って「ケルトの奇跡」と呼ばれる経済成長を達成した。バブルの崩壊はアイルランド経済にも痛手を与えたが、決定的なダメージを受けることはなかった。同じく英語人口が多いインドにもソフトウェア関連の投資が増加し、インド経済に好影響を与えた。

中国でも当時株式公開を行った聯想集団などのIT関連企業の株価はいきなり高値を付けた。その後、これら企業の株価は下落を続けたが、中国のITブームはようやく緒に付いたばかりであったので、大きな打撃を受けることはなかった。

日本における影響
日本では1990年代終盤に顕著であり、社名やサービス名に"e-"、"i-"などを冠したり、ビジネスモデル特許出願を標榜したりするだけで注目を集めて投機の対象となった。しかし、いわゆるIT産業を形成する企業の多くは経営基盤の脆弱なベンチャー企業であり、ヤフーや楽天など一部の成長した企業を除いて多くは失速していった。

日経平均株価も、1999年頃から順調に推移していたが、2000年4月17日に戦後5番目の下げ幅(-6.98%)を記録すると、その後は下降へと転じていく。

また、半導体の過剰設備、過剰在庫が、ソニーや日本電気、東芝といったパソコンや半導体の生産企業の株価や業績を大きく落とすことになる。

一方、この時期はパソコンインターネットがもてはやされたことからパソコンの販売やインターネットへの加入が促進され、家庭におけるパソコンインターネット普及率が上昇している。