松下電器

松下電器産業株式会社(まつしたでんきさんぎょう)(英称) Matsushita Electric Industrial Co., Ltd.は、「ナショナル(National)」「パナソニック(Panasonic)」「テクニクス(Technics)」ブランドで知られる日本の大手総合家電機器メーカーである。本社は大阪府門真市。創業者は松下幸之助。

グローバルブランドスローガンは「Panasonic ideas for life」。以前は、「あなたとともに 豊かな21世紀を」(「あなたとともに豊かな未来へ」や「心を満たす先端技術 Human Electronics」、「技術で開く世界の繁栄」「社会とともに歩む技術のナショナル」「世界に伸びる技術のナショナル」というキャッチコピーも存在した)というスローガンがナショナル劇場や日曜洋画劇場で放送されていた。その前、昭和30~40年代(1960年代)は三木鶏郎作のCMソングに乗った「明るいナショナル」で一世を風靡した。

概説
松下電工を傘下に収めた現在、2005年度の総売上高では日立製作所に続き日本で2番目、地上デジタルテレビの分野では業界1位の電機メーカーである。

関連会社も含め、家電製品の他にも、産業機器、通信機器など電気機器を中心に多角的な事業を展開している。近年は、あまり宣伝されていなかったノートパソコン「Let's note」がビジネスマンを中心に人気となっており、テレビCMも放映されるようになった。

その経営スタイルや社風から、同業のソニーとの比較をされることが多く、ソニーが好調の際にはソニー型経営を褒め称える書籍が増え、逆の状況では松下電器型経営を褒め称える書籍が本屋に並ぶなど、良きにつけ悪しきにつけ、世間では両社をライバルだとみなす傾向が強い。これはVTR機でのベータ・VHS競争の印象が強いためだと思われる。確かにオーディオ・ビジュアル製品では、現在でも両者は直接の最大のライバルのひとつである。しかし、松下電器の販売製品全体の中でソニーと競合する製品は多くなく(特に、SONYは白物家電を販売していない)、これは映画事業やゲーム事業・金融事業へと展開するソニー側から見ても同じことが言える(松下は映画事業やゲーム事業に一時参入したが早期に撤退している)。そういった意味では、こうした松下vsソニーのような比較は、現在では的を射ていないと言えるだろう。

現在の戦略は様々な規格で日系他社と争いつつも、一方で分野によっては(液晶パネルなど)東芝や日立・ミネベアなどと提携・合弁・事業移管を行うなどの動きも見せている。

また、夏と冬のオリンピックの公式スポンサーで、1988年のカルガリー冬季五輪から始まり、同年のソウル夏季五輪、1992年のアルベールビル冬季五輪・バルセロナ夏季五輪、1994年のリレハンメル冬季五輪、1996年のアトランタ夏季五輪、1998年の長野冬季五輪、2000年のシドニー夏季五輪、2002年のソルトレイクシティー冬季五輪、2004年のアテネ夏季五輪、2006年のトリノ冬季五輪、そして2008年の北京夏季五輪まで夏季・冬季連続で12大会連続・20年連続でAV機器カテゴリーのTOPスポンサー(「The Olympic Partner」の略。最高位のオリンピックスポンサーのこと。日本企業では松下電器産業のみ)を務めている。

また知財活動も盛んで、米国出願件数では、IBMに続き、毎年、キヤノンと出願件数を争っており、技術力の高さも伺える。 昔は、他社が取り入れた評判のよい技術をすぐに自社製品化して、対抗商品を開発するため、「真似した電器」とも揶揄されていた。

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歴史
1918年に松下幸之助が現在の大阪市福島区に創業した松下電気器具製作所が前身。二股ソケットを販売した。
1927年の自転車用角型ランプの販売から「ナショナル(National)」の商標を使用しはじめ、1931年にはラジオの生産を開始した。
1933年には事業部制をとりいれ、1935年に松下電器産業に改組し、松下電器(現・松下電工)など分社化をおこなった。
第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部により制限会社の指定をうけた。しかし、軍需産業とみなされ資本の統廃合の制限がされた松下電工(当時 松下航空工業)以外の分社を再統合(合併)して事業部制に戻し、洗濯機などの製造を開始した。1952年にはオランダのフィリップスと提携し、松下電子工業を設立した。
1954年に戦争でほぼ壊滅状態にあった日本ビクターと資本提携する。その際ビクターを吸収したりせず、ビクターとは競争しながら発展していくという関係をとることになった。その理念は社長が変わった今でも存続している。
2000年6月、中村邦夫専務が社長に就任。森下社長は会長に、松下正治会長は名誉会長に、松下正幸副社長は副会長に就任した。将来の社長候補と目されていた、創業者松下幸之助の直孫である松下正幸が副会長に就任したことにより、松下一族による社長世襲の倣いは、ほぼ霧消したといえる。
2004年4月1日 戦後長らく独立路線であった松下電工を再び子会社化。ブランド戦略や経営戦略、研究開発にいたるまで統一的に展開することになり、互いの重複事業の再編と家電の営業部門の統合を行った。その結果、両社の共同経営会社のパナホームも松下電器産業直轄の子会社となり、松下電工とともに松下電器産業の住宅・電気設備のセグメント(電工・パナホーム)として組織上の再編が行われた。
現在ではソニーのライバルとして知られが1999年はソニーと松下の関係は2006年と状況が逆転してた、薄型テレビデジタルカメラDVDレコーダーの新・三種の神器に力を入れて製造・販売している。まねした電器と揶揄された体質から脱却し、独自技術中心へ経営理念に変更している。

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商標
National 松下幸之助により、革命歌「インターナショナル」をヒントに「国民(national)のための」という意味を込めて命名。現在は日本国内で白物家電部門や、ごく一部の音響機器、並びに子会社・松下電工のブランドネーム(以前はNAISと併用していたが現在はNationalまたはPanasonicに統合)に使用されている。
先の松下電工との事業統合により、両社ともオレンジ色のNationalロゴへ変更された。それ以前は、電産が赤色、電工が青色~黄色だった。
また、乾電池においてはマンガン乾電池がナショナル(海外の逆輸入品・非市販品(リモコンなど商品への添付用)はパナソニック)、アルカリ乾電池・オキシライド乾電池、二次電池がパナソニックを用いている。

Panasonic Pan a Sonicより。「全ての」の意の「PAN」と「音」を意味する「SONIC」からなる。海外で「National」の商標が登録されていたことと、「ナショナル」という響きが「国家主義」と取られかねないため(形容詞で「国立」「国家の」の意)に海外向けのブランドとして制定(制定当初は対米輸出品に用いられた)、2003年5月より、国内を除く、世界各国では、白物家電部門や松下電工製品を含めて「Panasonic」に統一されている。
国内では当初、映像・音響機器部門(放送業務用機器も含む)にも「National」ブランドを使用していたが、1986年より保守的なイメージの刷新を狙う意味で、「Panasonic」ブランドを使用している。現在では松下電工製品を含め、電子機器、制御機器、カーナビや盗難防止装置などの自動車用電化製品、通信機器などにも「Panasonic」が使われている。
またグローバルブランドスローガンとして「Panasonic ideas for life」を導入している。旧スローガンは「What's New by Panasonic」。なお、1960年代~70年代にかけて、国内で販売されるトランジスタラジオに「National Panasonic」を使用(60年代後半にはトランジスタテレビにも使用)。2003年4月までは「National/Panasonic」、「National/Panasonic/Technics」という表記もされていたが、現在は併記は認められず、「Panasonic」「National」「Technics」を使用する。

Technics(テクニクス) 高級音響機器のブランド。日本国内でパナソニックブランド投入前は比較的低価格の音響機器にも使われていた。また姉妹品として電子オルガンのテクニトーンも存在していた。詳しくはTechnicsを参照すること。

RAMSA 業務用の音響機材に使用。

Qua+sar 北米特定商品ブランド。1974年に米国のモトローラ社から一部事業を買収した際に、同社がカラーTVに使用していたブランドを引き継いだ。

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製品カテゴリ別の商標
廃止されたものも含む。

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AV機器
パナカラー
カラーテレビ全般。カラーテレビが標準となった後は前面には押し出されなくなったが、近年まではカタログにのみ表記されていた。他に技術方式として「エバートロン」「クイントリックス」があった。
トランザム
ブラウン管式ポータブルテレビ。かつてジェシーこと高見山大五郎がCMに出演したことでも知られる。
α(アルファ)
カラーテレビ。RGB端子を搭載したものに使用。α2000のCMには沢田研二が起用されていた。
画王
BSチューナー内蔵大型テレビ。90年発売後1年で60万台を売り上げる大ヒット。
T(タウ)
平面ブラウン管テレビ全般。ビエラブランドができるまでは液晶・プラズマテレビにも使われていた。
VIERA
液晶/プラズマテレビ。現在業界No.1の売り上げを誇る。
マックロード
VHSビデオデッキ全般。パナソニックブランド以降消極的な表記となり、近年になってカタログからも消えてしまった。
DREAM
DVDプレーヤー。現在は廃止された。
DIGA
DVDレコーダー全般。操作性追求。「ビエラ」同様業界No.1の売り上げ。
DIGICAM
DV・DVDビデオカメラ全般。「愛情サイズ」などで知られている。
LUMIX
デジタルカメラ全般(D-snapは含まない)。光学式手ブレ補正付きが人気。
クーガ
ソニーのスカイセンサーに対抗すべくリリースされた、マルチバンドの高性能トランジスターラジオシリーズ。ジャイロアンテナや大径スピーカーなどの派手なギミックとルックスによって後発の不利を払拭。
「狙え、クーガ」「吠えろ、クーガ」のコピーは深夜族をシビレさせた。
プロシード
深夜放送ブームはさらにBCLブームへと拡大。そのニーズに応えたBCL受信機がプロシード。周波数直読式のデジタルディスプレーは、競うように短波放送を聞いていたヤングの垂涎の的に。
Way(ウェイ)

ヘッドホンステレオ。ソニーがウォークマンを発売すると、ナショナル(当時はまだパナソニックブランドではなかった)は東芝やアイワと共にいち早くこの市場に参入した。サザンオールスターズをCMキャラクターにするなどの広告展開が行われたが、ウォークマンの名称があまりにも広がったためか「Way」のブランド名称は早々に消えてしまった。その後、ナショナルブランドで発売されるヘッドホンステレオには「GO(ゴー)」、「JUMP(ジャンプ)」のブランド名称が付けられたが、パナソニックブランドになると「RQ-」から始まる型番のみとなり、特にシリーズ名称は付けられていない。
RESTY(レスティ)

90年代前半から使用されていたコンポーネントシステムの名称。廉価モデルでRESTY MINI(レスティ ミニ)というのもあった。現在は使用されていない。
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白物家電
エレックさん 
電子レンジ全般。現在も使用されているが、オーブン機能付機種の発売時には「オーブンエレック」となり、敬称部分が省略されるようになった。
うず潮
洗濯機。各メーカーとも愛称をつけていたが、「青空」(日立製作所)、「銀河」(東芝)、「千曲」(三菱電機)など漢字二文字が多い中で、強烈なインパクトを放った。現在は廃止された。
愛妻号
洗濯機。
1980年代に「うず潮」に代わって命名された。現在も使用されており、また前面に押し出されている。
一時期食器洗い機が「キッチン愛妻号」を名乗っていたが、現在は使用していない。
The Big
家庭用大型冷蔵庫。松下がかつて伝統的にラインアップしていた、家庭用2ドア大型冷蔵庫、及び家庭用両開き3ドア大型冷蔵庫に付けられていた。現在はこれ以上の容量が一般的になり、廃止された。なお両開き5ドアの機種はQuintetとされていた。
The R

一部の大型冷蔵庫に付けられていた名称。
隼(はやぶさ)
掃除機。現在は使用していない。
エオリア(Eolia)
エアコン。スクロール式コンプレッサー採用の機種から採用された。なお、かつては「楽園」だった。
パルックシリーズ。
蛍光灯。最近は従来のシリーズより明るさが長期間持続する世界初の「プレミアコーティング」技術を採用した「パルックプレミア」シリーズが登場。なお白色蛍光灯は「ハイライト」、電球型蛍光灯は「パルックボールYOU(螺旋状のものは”パルックボールスパイラル”)」という商品名。
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その他
strada
カーナビゲーションシステム。
VIGIN (ビギン)
車載テレビ。業界で初めてデジタルチューナー専用端子を設けた。
Let's note, TOUGHBOOK
ノートパソコン
hito
ノートパソコン
現在廃止
おたっくす
パーソナルファックス。旧九州松下電器が製造していたもので、旧松下電送システムの「Panafax」と競合していたが、両社の合併でパナソニック コミュニケーションズが発足したことににより家庭用機は「おたっくす」、業務用機は「Panafax」と棲み分けが図られた。
キングコング, A1シリーズ
MSX規格のパソコン(生産終了)
OZMA, オズマシリーズ
カーオーディオのブランド(生産終了)
スララ, U1PROシリーズ
パーソナルワープロのブランド(生産終了)
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キャラクター
ナショナル坊や 
1950年代に登場したキャラ。電器店の店頭にて人形が置かれたりしていた(一部店舗では現在も店内に人形を置いている所がある)。
パナ坊
現行キャラ。テレビCM「ナショナルのお店」「ナショナル特選品フェア」(いずれもアニメ作品)に登場。デザイナーは絵本作家の五味太郎。全国のナショナルショップ各店でも営業車の多くにこの「パナ坊」が描かれている。
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年表
1918年 - 創業(「松下電気器具製作所」設立)
1927年 - 「ナショナル/National」の商標を使用
1931年 - ラジオの生産を開始
1932年 - ラジオの重要部の特許を買収し、同業メーカーに無償で公開。戦前のエレクトロニクス業界の発展に寄与。
1933年 - 大阪府北河内郡門真町(現・門真市)に大規模工場を建設して移転。事業部制の開始
1935年 - 松下電器産業に改組、松下電工などを分社化
1941年 - 軍需産業に参入。木造船や木造飛行機を生産する。
1946年 - GHQより制限会社の指定を受ける。
1952年 - オランダのフィリップスと提携し、松下電子工業を設立
※この後各工場の新設、拡充が相次ぐ
1954年 - 日本ビクターと提携。
1957年 - 専売店の集まり「ナショナル店会」「ナショナル・ショップ制度」発足。高度成長期の強大な販売網として機能。
1965年 - 完全週休二日制を実施、新販売制度(流通経路の短縮主体)。高度成長路線に乗る。
1966年 -英字表記の「NATIONAL」ロゴをを国内向け製品に、「PANASONIC」ロゴを海外向け製品、及び国内向けトランジスタラジオに使用開始。
1971年 -「PANASONIC」ロゴを、現在の「Panasonic」へ変更。
1973年 - 「NATIONAL」ロゴを、現在の「National」へ変更。パナファコム株式会社(現:株式会社PFU)を設立
1977年 - VHS方式のビデオ(マックロード)を発売。
1986年 - 「パナソニック/Panasonic」ブランドを国内でも使用開始。
1988年- テレビ・ビデオなどのAV家電部門が、ナショナルブランドからパナソニックブランドへ移行する。
1989年8月1日 - 本社技術部門の大規模な改革
1990年 - MCA社(現・ユニバーサル・スタジオ)を子会社化。
1993年 - フィリップスとの合弁解消、クロスライセンス契約に移行。
1995年 - MCA社の出資分80%をシーグラム社に売却
1997年 - 社内分社制を導入(関連する事業部を統合・集約)
2001年 - 松下電子工業吸収。また、同社傘下にある宮田工業(自転車や消火器などのメーカー)の保有株式の半数をモリタへ譲渡 任天堂と共同開発商品DVD/GAME Player Q発売
2003年 - グローバルブランドをPanasonicに統一、グローバルブランドスローガン「Panasonic ideas for life」の導入
2004年 - 松下電工の子会社化、アルカリ乾電池以来40年ぶりとなる新型の乾電池「オキシライド乾電池」を開発
2005年
ソフトウェア特許侵害を主張してジャストシステムを訴えていたが、一審で勝訴したものの控訴され、松下製品の不買運動なども発生。二審において逆転敗訴で決着→ウィキニュース
同社傘下にある松下興産の保有株式を大和ハウス工業へ譲渡する予定。
1985年から1992年製のFF式石油温風機によるCO中毒事故で死亡者が出たことが発覚。無償修理が発表されたが、発表後も事故が発生。→詳細は後述
1月 - オリンパスと一眼レフデジタルカメラの共同開発で合意したと発表。
2月 - プラズマディスプレイの開発に関して日立製作所と提携し、同社と合弁で特許管理会社を設立する他、原材料の調達や電子部品の開発などを共同で行うことを発表。
12月7日 - 韓国のサムスンSDIは同社のプラズマディスプレイパネル(PDP)関連の特許9件を侵害されたとして、松下電器を相手取り、米ロサンゼルスの連邦地裁に提訴した。
12月 - リコール済み石油温風機で死亡事故発生。松下はこの月、Panasonicブランドも含め商品CMを自粛し、お詫びCMを10日間放映し、総時間数は約80時間にも及ぶ。
2006年
6月 - 中村邦夫社長が会長へ退き、大坪文雄専務が社長に就任。
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スポーツとの関連
企業スポーツやスポーツへの協賛に比較的積極的である。

国際スポーツへの協賛
オリンピック - 公式TOPスポンサー
フォーミュラ1(F1)- パナソニック・トヨタ・レーシング のチーム・タイトルスポンサー
AFCチャンピオンズリーグ-2006年よりスポンサー
プロスポーツとの関連
ガンバ大阪-マネジメント・パートナーおよびユニフォーム・スポンサー。
企業スポーツ(実業団スポーツ)
野球-松下電器野球部(日本野球連盟 (社会人野球))
バスケットボール-「パナソニック・スーパーカンガルーズ」(JBLスーパーリーグ)
バレーボール-「パナソニック・パンサーズ」(Vリーグ)
その他
ブラジル・サントスFC-ユニフォーム・スポンサー
中国・全国卓球大会「パナソニック・グランプリ(松下乒乓球大奖赛)」-1991年よりタイトルスポンサー
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FF式石油温風機の欠陥問題
1985年から1992年まで製造されたFF式石油温風機(室外の空気を機械に送り込んで燃焼させ、燃焼ガスは室外に排出するタイプの暖房器具。約15万台が販売された。製造は奈良県大和郡山市にあった松下住設機器(松下電器産業に吸収合併、現在は社内カンパニーの松下ホームアプライアンス社))を使っていたユーザ宅で、CO中毒事故による死亡者が出たことが2005年1月に発覚、バーナーに室外の空気を送るゴムホースの亀裂により不完全燃焼を起こすことが原因とされた。

4月21日に、ゴムホースを銅製ホースに交換するリコール(製品の無償修理)が発表されたが、修理対応が進んでいない(理由には対象機種の生産から新しい機種で13年、古い機種で20年余りを経過しており、既に処分された製品も多いと考えられる)ことや、発表後の11月21日に修理漏れの対象製品を使っていたユーザー宅で死亡事故が発生し、11月29日、経済産業省から消費生活用製品安全法に基づく緊急命令を受ける。[1][2]

しかしながら、命令後も12月5日に、修理を行った対象製品を使っていたユーザー宅で、交換した銅製ホースが機械から脱落して意識不明となる中毒事故が発生し、1台5万円での引き取り、一般テレビ&ラジオコマーシャルの取りやめ(Panasonic含む)と対象機種に対する注意の告知内容への変更、ガソリンスタンドや新聞などでのチラシの配布などの対策の強化を決めた。松下提供のラジオ番組「歌のない歌謡曲」も12月8日より松下のCM放送を急遽中止、公共広告機構へ内容を差し替えた(なお、12日からはリコール告知CMを放送)。TBS系列で放送中の「ナショナル劇場」のCMも、発生当時(12月11日放送分)は公共広告機構と並行して告知CMの長編(30秒が1回、それ以外は60秒)を放送。その後、交換した銅製ホースが機械から脱落する事故が全国で13件発生していたことが発表された。またこれを受けて12月10日~12月19日までの10日間、放送でのコマーシャルすべてを、対象となるFF式石油温風機の部品交換・回収を促す内容のものに変更。

なお、通常の松下CMが再開された20日以降も、対象製品が多数出回っている北海道・東北などの一部地域と民放BS・一部のCS放送局ではリコール告知CM継続中(スポットCM中心)。ラジオ番組「歌のない歌謡曲」も継続して告知CMを放送(TBSラジオの場合、番組内1回と終了直後1回)。 この事件における松下電器の対応は、企業倫理の問題として三菱リコール隠しやジョンソン・エンド・ジョンソンの毒物混入事件などと比較される。中村邦夫社長(当時)1999年の業績不振の原因としてブランド力の低下を痛感 し、この問題で隠し事をすることはブランド力の再低下を招くとの危機感から、公平性と回収に全力を尽くすと決断した。 このこどは、田原総一朗との対談で述べている。

2006年1月12日には、約6万台の所在が確認できていないとして、郵政公社の宛先を特定しないで郵送できるサービスを利用し、全国のすべての世帯4900万世帯(昨年度国勢調査速報値による)と宿泊施設の1100万箇所、計約6000万世帯に対象機種の修理・回収を呼びかけるはがきを送ることを明らかにした。はがきには、問題の温風機の写真と、24時間対応できるフリーダイヤル番号が印刷される。

2006年5月10日からこの新CMが開始された。

なお、最初の事故が発覚した直後の2005年2月10日に、松下電器は石油機器(暖房機のみならず、石油給湯機なども)からの完全撤退を決めている(合理化のための撤退という説もある。)。以降ナショナルショップ(松下製品取次店)に供給される石油暖房機器はコロナ製品に変わっている。
ニュースリリース:石油機器製品の生産完了について

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不謹慎なパロディ
このCMが流れ始めた頃に、大型電子掲示板サイト「2ちゃんねる」のユーザなどが、告知CMによしもと新喜劇のテーマ音楽や水戸黄門のタイトルバックを加えた事を契機に、J-POPや、テレビ番組のテーマミュージックやCMソング、様々な映像を加えたり、一部のキーワードを置き換えるなどの不謹慎な音声・映像ファイルがインターネット上に出回った。直接的な関係はないが、同様の問題を引き起こしたサンヨーの暖房機回収CMのパロディも多数製作された。CMをコラージュしたFlashをはじめとするパロディ動画もネット上に出現し、中にはスーパーマリオや水戸黄門がFF式石油温風機を回収する動画まで作られた。

パロディで揶揄されたものの、ネットコミニュティ全体の雰囲気としては松下の迅速な対応が評価され企業イメージへの致命的なダメージは防げた。